連載第三回となる今回は、第一回で示した以下の前提②について、構造的要因の分析と、それに対する具体的な防衛・打破策を記述していく。 前提②:日本社会というシステム自体には「価値を測る尺度」が欠落しており、その内部からの修正は恐らく不可能である。 筆者はこれまで、日本社会の構造的特性を「中間業者の多さと労働生産性の相関」、および「短期合理性という病」という2つの切り口から考察してきた。そこで浮かび上がったのは、戦後日本が敷いた「善意という埋没コストに依存した制度」の限界である。 本来、市場で高く評価されるべき「質の高い労働やサービス」が、この国では「提供者の善意(当たり前)」として処理されるため、正当な価格や評価という「尺度」に変換されない。この構造的欠陥の最たる例が、海外で受賞するまで国内で過小評価され続けるノーベル賞級の研究者たちであり、労働者の善意を制度的に搾取するブラック企業の存在である。 日本が誇る「おもてなし文化」さえも、この尺度なき善意の強制循環によって成立している側面は否定できない。他国であれば莫大な富や地位という「正当な対価」で報いられるべき偉業や献身が、日本では「感動の物語」という情緒的な消費によって回収されてしまう。某局の『プロジェクト***』なる番組がこれほど人々の涙を誘うのは、その底流にある「報われない善意の美学」をシステムが要請しているからに他ならない。このような現象は、合理的な価値尺度を持つ他国では極めて特異なことである。 このループの結末は、個人の構造的な疲弊である。本稿では、この日本社会の「価値測定機能の機能不全」を解剖した上で、内部からの修正が不可能であるならば、私たちはどのような外部レバーを用いてこの状況を打開すべきかを述べていく。 構造の奴隷にならないために:個人が取れる3つの具体的防衛策 「確実な結果を出しているにもかかわらず、自分が正当に評価されていない」と感じている人は、現代の日本に溢れている。報道される氷山の一角の背後には、埋もれたまま擦り切れていく無数の有能な個人が存在するはずだ。 システム内部の修正が不可能である以上、個人が取れる最良のアクションは「適切な価値尺度を持つ環境」へと自らをパージ(脱出)させることである。万人向けではないが、その閉塞感を打破するための強力な3つの選択肢を提示したい。 ① 外資系企業への転職:...
前提①:日本の構造的欠陥は致命的であり、現行システムの持続は不可能である 日本の司法、政治、行政は、大戦後の清算の影響により、それぞれ根深い構造的欠陥を抱えている。そして残念ながら、その組織が作った制度自体もまた、同様の欠陥を引き継いでしまっている。これら国家レベルのシステム欠陥については今後の記事で詳述するが、今回は「個人の対策」に焦点を当てるため、私たちの生活に最も直結する「社会保障制度の限界」という具体的な欠陥について示していく。 社会保障制度の限界:高齢化に潜む「2つの山」 日本の公的健康保険は、住民票の登録さえあれば誰でも加入できるという非常に緩い条件で運営されている、世界有数の優れた制度だ。しかし、この仕組みは基本的に現役世代が負担する「社会保険料」によって成り立っている。結論から言えば、この制度は今後、確実に成立しなくなる。理由は言わずもがな、高齢化だ。 今後、日本の高齢化は毛色の違う「2つの山(ピーク)」を迎えることになる。 1. 第1の山:高齢者「数」のピーク【2043年】 まず、高齢者の絶対数(頭数)が最も多くなるのが2043年だ。このとき、65歳以上人口は約3,953万人に達し、歴史上の最高値(天井)を迎える。第2次ベビーブーム世代(団塊ジュニア)がすべて70代に突入し、日本の街中に最も高齢者が溢れ返る時期である。 ここを過ぎると、高齢者の死亡数が出生数を大きく上回り始めるため、高齢者の「人数」自体は減少に転じる。しかし、これで日本の高齢化問題が終わるわけではない。 2. 第2の山:高齢者「比率」のピーク【2070年代前半】 高齢者の人数が減り始めるにもかかわらず、総人口に占める「比率(高齢化率)」はその後も上がり続ける。なぜなら、それ以上に「現役世代と子どもの減少スピード(分母の縮小)」が激しすぎるからだ。 高齢化率(総人口に占める65歳以上の割合)の推移予測は以下の通りである。 2026年(現在): 約 29.5 % (約3.4人に1人が高齢者) 2043年(人数ピーク): 約 36.1 % 2050年: 約 37.9 % (約2.6人に1人が高齢者) 2070年(比率ピーク): 約 38.7 % (約2.5人に1人が高齢者) 最新の推計では、2070年頃に「38.7%」あたりでようやく上昇が止まり、ほぼ横ばいのプラトー(高原状態)...