1. タイで見た「シンプルな同一賃金」のリアル かつてインラック政権下のタイで働いていた頃、2012年頃に「最低賃金一律300バーツ(日給)」が施行された。当時、ショッピングモールを歩くと「時給40バーツ」でアルバイト募集の張り紙が並んでいた。驚くべきことに、工場で働く正社員の基本給を時給換算しても、飲食店のアルバイトの時給も、入口のスタートラインとしてはほぼ同等だったのである。 では、正社員とアルバイトは何が違うのか? 現地に尋ねて戻ってきた答えは非常にシンプルだった。 「違いは福利厚生(待遇パッケージ)だ」 ボーナス、交通費、皆勤手当、食事補助、さらには会社負担の社員旅行や退職金。これら「会社への帰属と長期雇用に対する対価」が正社員の優遇策であり、基本給そのものは「その時給分の労働に対する対価」としてシンプルに整理されていた。同じ職場・同じ時給でスタートし、職務の対価とメンバーシップの対価が明確に分離されている構造だ。 翻って、日本はどうだろうか。同じ職場で同じような作業をしていても、雇用形態の違いによって「基本給」そのものに巨大な格差が存在する。なぜ日本はこれほど複雑で、不合理に見える格差を抱え続けているのか。 2. ジョブ型「3か月」vs メンバーシップ型「3年」の判定格差 タイをはじめとする日本以外の国では「ジョブ型雇用」が一般的だ。業務内容はあらかじめ明確に定義されており、その職務をこなすために人が雇われる。 私自身、タイでプロセスエンジニアや品質保証エンジニアを採用・管理した経験があるが、入社した人材は能力差こそあれ、あらかじめ定義された一通りの業務をこなすことができた。3か月の試用期間があれば、求める職務要件を満たしているか否かの判定は極めて容易だった。 しかし、日本の現場(例えば日本のプロセスエンジニア)ではそうはいかない。一人の社員が「使えるか・使えないか」を判定するまでに、最短でも3年はかかる。 なぜ3年も必要なのか? それは日本の業務が「職務記述書(ジョブディスクリプション)」によって境界を区切られておらず、多岐にわたる無数の業務を自律的に拾い集めていく「メンバーシップ型雇用」の極致だからだ。 半年程度の試用期間では、その人間が「どこまで仕事の幅を広げられるか」の判定など到底不可能である。3年経って能力が足りなければ、部署内で塩漬けになるか、...
日本という国は、制度が明白な破局へ向かっていると分かっていても、途中で止めることができない。これは感情論ではなく、歴史と数字が裏付ける構造的事実である。 太平洋戦争の開戦時、国家予算の約50%を軍事費が占め、石油の約88%を米国に依存していた。破局が数字上で確定していても誰も止められなかった。バブル崩壊後の30年、日本の実質賃金が下落し続ける中で他国が成長を遂げていても、誰も舵を切れなかった。 日本はなぜ、自らの手で制度を停止できないのか。 1. 責任不在の永久機関:暴走する四重構造 日本の制度暴走の根本原因は、権力集中的な暴政でもイデオロギーの硬直でもない。「責任の所在が極限まで希釈されていること」そのものにある。 責任所在の極限的な分散 :官僚・政治家・業界団体・世論による「四者合意」の構造と、数十の省庁関与により、「停止権限を持つ者」が制度上存在しない。 前例主義と無謬性文化 :「過去の行政判断は正しかった」とする前提が構造修正を禁忌化し、不具合は運用の微修正で延命を図る。 摩擦回避文化 :対立を嫌う文化のため、欧米のように「衝突と政治的闘争」を通じて制度を書き換えるエネルギーが発生せず、すべてが現状維持へ吸い寄せられる。 複合制度のスパゲティ化 :税、社会保障、労働慣行、地方財政が高度に相互依存しており、一箇所を触ると全体が瓦解するため手をつけることができない。 この「責任分散・無謬性・摩擦回避・複合制度」という停止不能の四条件を同時に満たす構造こそ、日本の制度が抱える「自壊の自律走行」の正体である。 2. フィクションとの逆転:暴走する人間と、ブレーキとしてのAI ここに、ひとつの極めて示唆深いパラドックス(逆転現象)が立ち現れる。 SF映画や物語の古典において、常に「暴走する存在」として描かれてきたのはAIであった。『2001年宇宙の旅』のHAL 9000から『ターミネーター』のスカイネットに至るまで、人類の脅威となるAIを止めるため、人間が倫理と勇気をもって「非常停止ボタン(シャットダウン・スイッチ)」を押す構図が描かれてきた。 しかし、現実の日本社会で起きている現象は完全な逆転を描いている。 西欧SFの恐怖 :強い意志を持ったAIがロジックを暴走させ、人間を支配する(人間=非常停止ボタン)。 日本のリアル :誰も責任を取らず、意思を持たない人間集団が...