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第七十四話:手足口病は新しい病気⁉ー夏の季節ものの病となったー



一時の気温が40℃に迫るうだるような暑さはなりを潜め、通常の夏に戻った感がある。テレビでは戦後何年という追悼番組、高校野球、先日起こった熊本地震のニュースのどれかが民放各局で流れていた。

思惟ちゃんの家。

まだ暑過ぎない時間帯、思惟が自室で夏休みの課題に向き合っていると、玄関のほうから話し声が聞こえ始めた。思惟の母が、幼い子供を連れた近所の奥さんと立ち話をしているようだ。

「……そうなのよ、先日うちの子が手足口病にかかっちゃって。高熱は出るし口の中が痛くてご飯は食べられないしで、本当に大変で……」 「あらまあ、大変だったわねえ。でも手足口病なんて、私たちが子供の頃には聞いたことがなかった病気よねぇ……」

自室まで届く会話を聞きながら、思惟はペンを止めた。

思惟ちゃん:「手足口病か……テレビのニュースで流行しているって聞いたことがあるな。自分が小さかった頃にかかったかは覚えていないけれど、お母さん世代の子供時代には存在しなかった流行り病なんてあるのかな?」

気になった思惟は、夏休みの課題を一旦脇に置き、AIを使って手足口病について調べてみることにした。

【検索結果:手足口病(HFMD)について】

1. 概要と主な症状

手足口病(Hand, Foot, and Mouth Disease, HFMD)は、主に乳幼児を中心に夏場に流行するウイルス性の感染症。感染から3〜5日程度の潜伏期間を経て、以下のような症状があらわれる。

  • 水疱(水ぶくれ)を伴う発疹 手のひら、足の裏、口の中に2〜3ミリ程度の小さな水ぶくれ(赤みを帯びた発疹)ができる。肘、膝、お尻まわりに広がることもある。

  • 口の中の痛み 口内の水疱が破れて強い痛みを伴う口内炎(潰瘍)になり、飲食を嫌がる主な原因となる。

  • 発熱 感染者の約3分の1に発熱(主に37〜38度台)が見られる。

  • 治癒後の経過 多くの場合は3〜7日程度で自然に回復する。なお、近年の流行型(コクサッキーウイルスA6など)では、治癒して1〜2か月ほど経った後に、一時的に手足の爪が剥がれるケースがある(※痛みなく新しい爪が生えてくる)。

2. 歴史と背景

  • 発見(1950年代):1950年代後半、ニュージーランドやカナダなどで臨床的・ウイルス学的な報告が相次ぎ、新しい疾患概念として確立(1958年にコクサッキーウイルスA16型が原因として分離・同定)。

  • 日本での広がり(1960〜1970年代):日本では1960年代後半から報告例が増え、1970年代以降にプール熱やヘルパンギーナと並ぶ「夏の三大小児感染症」として定着した。

  • 病原体:エンテロウイルス属(コクサッキーウイルスA6、A16、エンテロウイルス71など)が原因。複数の型があるため、一度かかっても別の型に再感染することがある。大人に感染すると重症化しやすく、強い激痛を伴うこともある。

3. 治療法

特効薬(抗ウイルス薬)や予防ワクチンは存在しない。症状を和らげる「対症療法」と水分補給などの家庭での経過観察が基本となる。

思惟ちゃん:「へえ、手足口病って病気の概念自体が1950年代にできた比較的新しいものなんだ。お母さんたちが『子供の頃に聞いたことがない』って言っていたのも納得ね。それにしても、特効薬も予防ワクチンもないなんて……子供のころ予防接種の注射はいっぱい打ったけれど、この病気に関しては打つ手なしってことかぁ。爪が後から剥がれることもあるなんて、ちょっと恐ろしいけど……」

手足口病の歴史やウイルスの特徴、予防接種がない理由などを自分なりに整理した思惟は、一気にレポートを書き上げた。

思惟ちゃん:「ふぅ、できた! お母さんたちの立ち話も、たまには役に立つのね」

窓の外からはつくつくぼうしの鳴き声が聞こえ、少しだけ秋の気配が混ざり始めた風が、完成したレポートの端をふわりと揺らした。

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