私はU―NEXTのサブスクリプションサービスに加入している。このサービスには映画やアニメの動画だけでなく、雑誌の読み放題も付いている。就業中は出張の移動時間くらいでしか雑誌を読むことがなかったが、退職して時間ができたことで、ふと雑誌コーナーを覗いてみた。
その中で『日経マネー』の表紙が目に留まった。さっそくタブレットで開いてみると、個人投資で大儲けしている人たちの特集が組まれている。何か参考になる技があるかもしれないと思い読み進めたが、登場する成功者たちの資産額は、普通の感覚からすれば完全に別世界だ。投資界隈では10億円越えなど珍しくないのだろう。
しかし、結論から言えば、彼らの手法はほとんど参考にならなかった。詳細は省くが、ある程度の資産を築いた今の私から見ても、実用性は限りなくゼロに近い。正直、お金系YouTubeを見ている方がよほど再現性のある情報を得られる。
タブレットを閉じながら、私はある仮説に行き着いた。
そもそも雑誌というメディアは、最初から「実用的な情報」を届けるためのものではなかったのではないか。
雑誌とは、娯楽と羨望をパッケージにして読者に届ける“ファンタジー装置”だったのではないか。ファッション誌を思い浮かべれば分かりやすい。誌面を飾る服は、決して買えないほど高額ではないが、日常的に買い続けるには非現実的だ。しかも、あれは抜群のプロポーションを持つモデルが着るからこそ映える。普通の人間が同じ服を着ても、誌面の世界観を再現することは到底できない。
投資雑誌も、構造はまったく同じ
10億円を動かす大富豪の成功譚は、読者に「いつかは自分もこうなれるかも」という一瞬の夢を与える。だが実際には、手の届かない存在への羨望を刺激するエンターテインメントに過ぎない。そして雑誌の本質は、情報提供ではなく、その夢の余韻の中で誌面に掲載された商品やサービス――ファッション誌ならブランド服、投資誌なら証券会社や金融商品――へ読者を誘導するための、洗練されたカタログだったのだと思う。かつては、それでも成立していた。情報の流通経路が限られていた時代、私たちはその“カタログ”をありがたい情報源として買い求めていた。
しかし時代は変わった。 今や本当に実用的で、今日すぐ使える剥き出しの情報は、SNSや動画プラットフォームを通じて個人間でリアルタイムに共有される。市場の暴落対策も、節約術も、わざわざ数週間前の取材をもとに作られた雑誌を待つ必要はない。ネットを開けば、生々しいほど再現性の高いリアルが転がっている。
実用性という土俵でSNSに完敗したことで、雑誌が隠し持っていた“ファンタジー装置”としての正体が露わになってしまった
もちろんSNSにも弱点はある。情報が多すぎて溺れやすいし、玉石混交で信頼性の判断が難しい。だが、それでも“普通の人のリアル”が流通する世界では、雑誌の「編集者が作る理想の世界観」は、かつてほどの魔力を持てなくなった。
昨今、雑誌が売れなくなり、休刊が相次いでいると言われる。 それは出版不況や活字離れだけではなく、雑誌が本来「実用書」ではなく「羨望のパッケージ」だったという事実に、読者が薄々気づき始めた結果なのかもしれない。
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