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AI エッセー: 本来問題ではないはずの問題を、問題化してしまう社会──日本の生産性を押し下げる“余計な資源投入”の構造その2──


 日本の梅雨時、大型乾燥機のおかげで洗濯問題は解決したものの、クローゼットを整理しながら私はもう一つの「違和感」に思いを馳せていた。

私はここ数年、日常的に着るTシャツやポロシャツ、そして靴下を、わざわざタイやベトナムなどの東南アジアを訪れた際にまとめて購入している。単に価格が安いからではない。本質的な理由は、それらの衣服が「驚くほど長持ちする」からだ。何度ガンガン洗濯機に放り込んでもヨレず、型崩れもしない。

ひるがえって、日本で購入する衣服はどうだろうか。それなりの価格を払ったものであっても、ワンシーズン着れば首元が伸び、繊維が痩せ、どこかクタッとしてしまう。

この「衣服の耐久性格差」の背景を探ると、前回の「洗剤問題」と全く同じ、日本社会の歪んだ作動原理(OS)が浮かび上がってくる。

◆ インフラの過酷さが生む、強固な「基盤構造」

タイやベトナムの衣服が圧倒的にタフなのは、それが置かれた「前提インフラ」の負荷が極めて高いからだ。

東南アジアの水は硬水であり、前述の通りアルキルベンゼンスルホン酸(LAS)系のような強力な洗剤でガシガシと揉み洗いされる。さらに、南国の強烈な紫外線とスコールという過酷な気候が加わる。 衣服にとって、この環境は戦場だ。したがって、繊維そのものの引張強度、染色の定着度、縫製のタフネスという「基盤の強度(構造)」を極限まで高めなければ、そもそも日常着として成立しない。 だから、引き算のようにシンプルでありながら、本質的に頑丈に作られている。

一方、日本の衣服は「軟水で、繊維を傷めない優しい非イオン系洗剤で、丁寧に洗う」という、言わば甘やかされた温室のような環境を前提に設計されている。そのため、土台となる物理的耐久性を高める必要性が、構造的に発生していない。

◆ 日本の衣服が罹患している「機能過多」という病理

では、日本の衣服メーカーは何に資源を投入しているのか。ここでも、家電やITと全く同じ「機能の上塗り」が起きている。

日本の日常着や機能性インナーは、ベースとなる繊維の強度を高める代わりに、以下のような化学処理(コーティング)という名の「付加価値」をこれでもかと積み上げる。

  • 抗菌防臭加工(日本の洗剤では皮脂が落ちきらないため、服側に抗菌剤を盛る)

  • 吸汗速乾・接触冷感(化学繊維の表面への特殊な後加工)

  • なめらかさ・形状記憶(シリコン等による表面コーティング)

これらの「上塗り機能」は、数回から数十回の洗濯で綺麗に剥がれ落ちるようにできている。そしてコーティングというメッキが剥がれたとき、ベースの強度が脆弱な日本の服は、一気にヨレ、型崩れし、寿命を迎える。

本来なら「繊維を太くし、縫製を強くする」というシンプルな構造転換をすれば済むはずだ。しかし日本のメーカーは、ワンシーズンで機能が失われる「脆弱な高機能衣類」を作り続け、消費者に「毎年買い替える(余計な資源を投入する)」という対策を強いている。

◆ 記号を消費させ、実質を失う社会

東南アジアの衣服は、過酷な現実(環境)に耐えるための「物理的な強度」という製造OSで勝負している。 対して、日本の衣服は、優しい環境に守られながら、「抗菌」「速乾」といった耳ざわりの良い言葉を上塗りする意味OS(マーケティング)で駆動している。

本来不要な加工が、不要なケア(ネットに入れてのおしゃれ着洗い)を生み、短いライフサイクルを生み、頻繁な買い替えという余計な労働と出費を消費者に要求する。ここでも「構造を変えず、付加価値で上塗りする」という、日本の生産性を押し下げる元凶が綺麗に再現されているのだ。

私が南国で買い求める一枚のポロシャツは、単なる衣類ではない。 それは、日本の「過剰な機能上塗りビジネス」の欺瞞を撃つ、実直で強固な「基盤構造」そのものなのである。

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