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AI エッセー: 本来問題ではないはずの問題を、問題化してしまう社会──日本の生産性を押し下げる“余計な資源投入”の構造──


日本にも毎年恒例の梅雨が来た。梅雨時の悩み事と言えば、どんよりとした天気と洗濯問題だ。我が家では昨年、大型の乾燥機を購入し梅雨時の悩みは一つ解決した。 

タイで暮らしていた頃、私は一つの奇妙な経験をした。

洗濯物をクローゼットに放り込んでおいても、まったく臭わないのである。 湿度の高い国で、部屋干し臭が発生しない。日本では当たり前のように語られる「部屋干し臭問題」が、タイではそもそも存在しない。

その理由を探るうちに、私は一つの構造的な事実に気づいた。 タイの洗濯洗剤は アルキルベンゼンスルホン酸(LAS)系界面活性剤を主成分としている。硬水に強く、油汚れを強力に落とす。結果として、雑菌の餌となる皮脂が繊維に残らない。だから臭わない。 問題は、社会の“基盤構造”の中で自然に消えている。

一方、日本の洗剤は非イオン系を中心に進化してきた。皮脂が残りやすく、雑菌が増えやすい。その結果として「部屋干し臭」という“問題”が生まれ、メーカーは抗菌剤や香料を追加し、さらに「部屋干し用洗剤」という新しい市場を作り出した。

ここで私は、ある種の違和感を覚える。 本来は問題にならないはずのことが、日本では“問題”として成立し、そこに余計な資源が投入されている。 しかも、その余計な資源投入は、消費者の生活の中で「当たり前の対策」として受け入れられてしまう。

この構造は、洗剤だけの話ではない。日本社会の至るところで観察できる。

◆ IT化という名の「構造を変えない改革」

たとえば、ビジネスの IT 化がその典型だ。 本来であれば、業務プロセスそのものをシンプルに標準化するという「構造の選択」をすれば済むはずである。 しかし日本では、複雑怪奇な社内ルールや従来の慣習を変えないまま、それに合わせた「特注システム」を大金を投じて開発する。

そして、その歪なシステムを運用するために、さらなる IT 人材や膨大なマニュアルという余計な資源を投入し続ける。 構造を変えず、上に対策を積み上げる。 これが日本型 IT 化の本質だ。

◆ 家電の「機能過多」という病理

ものづくりの現場でも同様のことが起きている。 機能を極限まで絞り込み、直感的に使える製品を作れば、顧客もメーカーも楽になる。 しかし日本の家電は、滅多に使わない機能を競うように追加し、結果として分厚い取扱説明書と、それを解説するためだけのカスタマーサポートという新たなコスト層を生み出していく。

本来不要な機能が、不要な説明を生み、不要なサポートを生み、不要な労働を生む。 ここでも「構造を変えず、付加価値で上塗りする」という同じパターンが繰り返されている。

◆ 働き方改革の「上塗りの努力」

労働環境における「働き方改革」も根っこは同じだ。 成果と権限を明確にし、個人の裁量で早く帰せばいいというシンプルな構造転換には手をつけない。

代わりに、付き合い残業や過剰な確認ラリーという無駄な工程は残したまま、 「メンタルヘルス対策」や「タイムマネジメント研修」という新たな対策を上塗りして解決しようとする。

構造を変えず、対策だけが増える。 その結果、誰も悪気がないにもかかわらず、マクロで見ると「誰も幸せにならない総労働時間の増加と、低い生産性」が完成してしまう。

◆ 日本の生産性が低い理由は「努力不足」ではない

日本の生産性が低いと言われる理由は、 「努力が足りない」でも「技術が遅れている」でもない。

社会の作動原理そのものが、本来不要な資源投入を生み出すように設計されてしまっているからだ。

構造を変えず、対策を積み上げる。 問題を問題として生み出し、そこに余計な資源を投入する。 その結果として生産性が押し下げられる。

◆ 生活の細部にこそ、社会の歪みが現れる

タイでの洗濯という些細な経験は、日本社会の“価値判断の枠組み”の歪みを照らし出す鏡だった。 本来は問題にならないはずのことが、問題として成立し、そこに余計な資源が投入される。 この国の「どこかおかしい」感覚は、決して気のせいではない。

むしろ、生活の細部にこそ、社会の基盤構造の歪みが最も鮮明に現れるのだ。

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