少子高齢化が叫ばれる中、高齢者の労働参加率はうなぎのぼりだ。2000年代の約20%台前半だった65歳以上の就業率は、現代では25%を超え、全労働者の7人に1人がシニアという、世界でもダントツのトップ独走状態を更新し続けている。特に65歳から69歳に限定すれば、その数値は54%を突破した。
いま、日本の職場に「7人」の労働者が集まったとき、そこには衝撃的なポートフォリオが広がっている。20代が1人、30代が1人、そして65歳以上の高齢者が1人。残りの4人が40代から60代前半の中高年だ。これからの日本を担うはずの20代全員の労働力と、すでに引退しているべき高齢者全員の労働力が、「1対1」の同数で並ぶ歪な現実。メディアはこれを「アクティブシニアの活躍」とポジティブなプロパガンダで飾り立てるが、社会の基盤構造を剥ぎ取り、統計ダッシュボードを冷徹に眺めると、全く異なるディストピア的な景色が浮かび上がる。
そこにあるのは、性善説でも性悪説でも説明のつかない、純粋な「家畜管理制度」とも呼ぶべき統制システムである。しかもこのシステムには、恐ろしいことに“術者”が存在しない。誰も意図していないのに、制度だけが自動的に人々を拘束し続ける。
厚生労働省の『所得再分配調査』には、その不気味な数理的トリックが明確に記録されている。世帯主の年齢階級別ジニ係数(再分配前)を見ると、40代までは0.2台という「一億総中流」の美しい平等の顔をしている。ところが、65歳を過ぎた瞬間にその数値は0.65へと爆発し、70代後半には0.78という統計崩壊レベルの「ウルトラ格差」へと突き抜けるのだ。
この数値には、労働していない無職の高齢者(当初所得0円の層)もすべて分母に含まれている。つまり、定年を迎えて「床」にへばりつく大量の無収入層と同じカゴの中に、「引退を封じ込められたハイスペックな高所得シニア」がブチ込まれることで、この破滅的な歪みが生まれている。
しかし、この“格差”は市場が生んだものではない。日本の賃金制度が「年齢=賃金」という世界でも異常な構造を持ち、60歳で制度的に賃金カーブが断絶するという“地殻変動”が起きるためだ。高齢期の格差は、意図された搾取ではなく、制度の断層そのものなのだ。
20代・30代の若者層を合わせたところで「7人に2人」しかいないこの国では、若者からどれだけ毟り取っても国家のバルク(財源)が絶対的に足りない。だからこそ、国は高所得シニアを労働市場のケージ(檻)に逆流させ、死ぬまで走らせる必要があった――と見える。しかし実際には、もっと冷酷で無責任な構造がある。日本の制度は「高齢者を働かせたい」から働かせているのではない。強制定年制度、年収半減の賃金カーブ、働かないと損する年金制度、若年人口の枯渇――これらの制度的副作用が勝手に高齢者を労働市場へ押し戻しているだけなのだ。
なぜ彼らは、高齢になっても走るのをやめられないのか。それは国が仕掛けた「生活維持コスト」と「プライド」という名の精緻な檻に囚われているからだ――と見える。しかし、さらに深い構造がある。日本の人生モデルそのものが、50代で最大負荷になるように設計されている。教育費ピーク、住宅ローン残債ピーク、社会保険料ピーク、役職定年前の賃金ピーク、世間体ピーク。これらが偶然積み重なり、50代は“人生最大の拘束期”となる。国の意図ではなく、戦後の制度が偶然形成した呪いの構造だ。
さらに、65歳を過ぎれば「公的年金等控除」の縮小や扶養控除の喪失というピンポイントの狙い撃ちが待ち受ける。結果として、60代以上のシニア層が納める所得税の総額シェアは、20代若者世代全体の3倍近い、全体の約15〜18%を維持し続ける。過半数の高齢者が非課税になる裏で、檻から出られない一部のトップランナーが、単馬力で現役時代並みの巨額の税と最高ランクの社会保険料を毟り取られ、システム全体の穴埋めをさせられている。しかしこの再分配は“弱者救済”のためではない。高齢者人口爆発という構造적後始末のための排水装置なのだ。
このシステムの真の恐ろしさは、悪意を持った独裁者がどこにもいない点にある。政治家はマス層である低所得者に「弱者救済」のエサを配って票をハックし、官僚は本丸である高所得層から効率よく集金するパイプラインを維持する。低所得層は自分が納めた以上の分配を受けて大人しくなり、高所得層は「自分は成功者だ」という自己満足の麻薬を与えられ、源泉徴収という名の去勢を施されたまま、自分が死ぬまで馬車を引かされる馬であることに気づかない。
格差を最大化させて高所得シニアを限界まで酷使し、そのエネルギーで低所得層を養い、統計上の再分配後のジニ係数(0.3台)だけを綺麗に整えて「優しい日本」を演出する。これは、宗教という精神的統制を使わず、ただ制度のパラメータ調整と同調圧力だけで完成させた、世界最高峰の“自動発動型”世俗的ディストピアだ。
まるで全員が、都合の良い夢を見せられながら生命エネルギー(チャクラ)を永久に吸い取られ続ける究極の幻術――「無限月読」の中にいるかのように。しかもこの幻術には術者がいない。制度そのものが自動的に発動し続ける、世界でも稀な“無責任型幻術”である。
しかし、この日本版・無限月読の効果が維持できる時間は、そう長くはない。なぜなら、神樹が吸い上げるべき中高年・シニアの太いパイプ(7人に4人のボリュームゾーン)自体が、あと10年もすれば確実に高齢化のさらに奥へとスライドし、細り、崩壊していくからだ。現役世代のチャクラが枯渇し、システムの維持パーツであるはずのハイスペックシニアさえもが支えきれなくなったとき、この美しい幻術の夜は強制的に明ける。
その時になって初めて、檻の中で眠っていた羊たちは、自らが荒涼としたディストピアの地平に裸で放り出されている事実に気づくのだろう。
この見事な牧場で、ただ牙を抜かれた優等生として幻術に浸ったまま死ぬまで毛を刈り取られ続けるのか。それとも、構造の設計図を完全に解読した者として、術を破る「解(カイ)」を唱え、システムの網の目をくぐり抜ける自分だけの「現実の脱出戦略」をハックするのか。数字が語る冷徹な現実は、私たちにその二者択一を迫っている。
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