前回、一時的に高所得となったエンジニアの流出から端を発し、「日本の国益」と「国に勤める者の利害」を繋ぐインセンティブの不在について書いた。
この「インセンティブ不在」という前提に立つと、日頃私たちがテレビの政治討論で目にする“あの大劇場の正体”が、恐ろしいほど明確な言葉に変換できる。
「インフレで国民が大変だから減税だ!」 ── 「財源はどうするんだ!」
「低所得者の手取りを増やせ!」 ── 「少子高齢化に伴い公平な負担を!」
「子育て支援の拡充を!」 ── 「だから財源が!」
「無駄な医療費を削減しろ!」 ── 「命に関わる!公平な医療提供を!」
「NISAの枠を拡充しろ!」 ── 「高所得者優遇だ!」
テレビの討論番組で、こうした不毛な水掛け論を何度も見たことがあるはずだ。 誰もが共通して「確かに、それは問題だ」と分かっている。だが、議論は永遠に平行線をたどり、何一つ決まらない。
ここで当然、一つの疑問が湧くだろう。
「では、テレビのあの討論は一体何のために行われているのか?」
答えは虚しいほどシンプルだ。「それが視聴率になるから」、ただそれだけである。
テレビ局にとっては、国民の感情を煽り、対立構造を演出して視聴率(広告収入)を取ることこそがビジネス上のインセンティブだ。出演する政治家にとっても、顔と名前を売って次の選挙の票に繋げることがインセンティブである。
そこには最初から「国益の最大化」や「現実的な解決策の導出」などというゴールは存在しない。どこまで議論を重ねようが、国益の話に回帰することなど絶対にないのだ。
各業界団体や世論からのわずかな反発があった時点で、すぐに言い訳が出てくる。それを押し切ってまで国益を押し通すインセンティブ(得)が、彼らにハナから存在しないからだ。
海外のニュースを見ていると、日本ほど政治が「低所得者への配慮」ばかりにフォーカスする国は珍しい。ここからは「国益」ではなく「個人の得」の話になる。
野党はなぜ「低所得者や高齢者にやさしくない」と与党を責めるのか? 彼らのインセンティブが「自分の当選(最大多数の票)」だからだ。
与党はなぜ特定の団体や業界の意見に耳を傾けるのか? それが「政治資金と組織力(お金)」になるからだ。
つまり、「国益の最大化」という案件に対して、政治家個人のインセンティブが働く仕組みはどこにも存在しない。かつてIR(統合型リゾート)誘致で起きた汚職が象徴的だ。政治家が動いたのは「インバウンドによる国益」のためではなく、単に個人の懐に入る収賄という直近のインセンティブがあったからに過ぎない。
本来、「国益」の観点から言えば、昨今のインフレと好景気の中で莫大な税金を納めている高所得者層への対策(逃亡防止・税制優遇)こそが一丁目一番地のはずだ。彼らを国外へ逃がすことは、国家にとって巨大損失だからである。 だが当然、そんなテーマは各党の公約や目論見書のリストにすら上がらない。高所得者を擁護しても、票にも金にもならないからだ。
政治家も官僚も、何が国益かは百も承知だろう。 しかし、「誰も得をしないから、誰も何もしない」。
「それでは国民の損になるではないか!」と怒る人がいるかもしれない。だが彼らにとって、「国民の損」はどこまでも「国民の損」であり、「自分個人の損」ではないのだ。
政府の巨額の借金も、優秀な人材の国外流出も、官僚や政治家自身の身を削る損害にはならない。だから今日もテレビの画面越しで、誰の懐も痛まない「視聴率稼ぎのパフォーマンス」としての議論が、延々と繰り返されている。
関連テーマ:
.jpg)
コメント
コメントを投稿