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AIエッセー:責任を押し付けるための「時間稼ぎ」——なぜ日本型組織の責任追及は終わらないのか

 


日本の不祥事や重大な政策失策において、私たちがいつも目にする光景がある。連日のようにメディアで繰り広げられる「責任の所在」をめぐる議論と、果てしない原因究明の委員会だ。

年金記録の消失、感染症対策の迷走、大企業の不正会計——事態が発発するたびに「誰が判断したのか」「どこに責任があるのか」と激しい追及が始まる。しかし不思議なことに、この「責任の所在確認」には膨大な時間がかかり、最終的に誰がどんな個人的責任を取ったのかも曖昧なまま、気づけば嵐が去っている。

海外の独立調査や公聴会でも検証に時間はかかる。だが、西欧的な個人責任(Accountability)の思想において、その時間は「癌細胞である特定の意思決定者を追いつめ、切除する(焦点の絞り込み)」ために使われる。決断を下した主語を特定し、その個人に損害賠償や失職、法的な処罰という負債を清算させて決着をつけるのだ。

では、最終的にツケ(負債)を払わされるのが国民や末端の現場だと最初から決まっている日本で、なぜこれほどまでに時間をかけて「責任の所在」をこねくり回す必要があるのか。

理由は真逆だ。日本におけるこの「確認作業」は、真犯人を特定して罰するためのものではない。関与者を無限に増やし、責任を全員で希釈して「誰も個人的な責任を取らなくて済む状態」を作り出すための安全な時間稼ぎだからである。

もし問題が起きた直後に、「決定権を持っていた特定の上層部」が潔く自らの意思決定の失敗を認め、辞任や個人賠償に応じたとしよう。それは「決定者が責任を取った(負債を清算した)」ことになり、話はそこで終わる。

しかし、日本型組織のOSにおいて、それは絶対に避けなければならない事態だ。お上や組織のトップは「正当で過ちを犯さない存在」でなければならず、個人の失敗を認めれば組織の権威そのものが失墜してしまうからだ。

そこで始動するのが、「責任の所在確認」という名の時間稼ぎのプロセスである。

「当時の意思決定の背景を確認する」「前例との整合性を精査する」「関係部署の合意プロセスを検証する」——そうやって時間をかければかけるほど、承認印を押した幹部、稟議書を通した官僚、専門家会議、関係業者、政治家と、関与者のリストは数百人規模へ膨れしていく。

関与者が膨大になった瞬間、マジックが完成する。「特定の誰かの意思」は消滅し、「全員で決めたこと」「当時の空気の産物」へと責任が空中分解するのだ。

そして、この「時間稼ぎ」にはもう一つの重要な効果がある。激しい追及の茶番を何ヶ月も国民に見せつけることで、大衆の感情的な怒りを摩耗(消費)させることだ。

責任の所在をめぐる議論が迷宮入りし、人々が「結局、誰が悪いのかよく分からない」と疲弊した絶妙なタイミングで、静かに次の言葉が投げかけられる。

「誰が悪かったかという議論より、残された現実をどう収束させるかが先決だ」 「この莫大な処理コスト(負債)は、社会全体で痛みを分け合うしかない」

ここに「消えた年金」の処理費用も、膨らみ続ける「国の借金」も、すべて国民の負担として落とし込まれる構造が完成する。

欧米であれば、意思決定者が免責されたまま国民にツケを回そうとすれば、懲罰的損害賠償の訴訟や暴動によってシステムそのものが崩壊するだろう。しかしこの国では、責任の所在確認という「時間稼ぎ」を経ることで、不思議なことに人々自らが「自分たちの愚かさのツケだ」と諦めて負債を引き受けてしまう。

日本で責任の所在確認に時間がかかるのは、手際が悪いからでも、真相究明に誠実だからでもない。特定個人に外科手術のような責任を取らせないよう議論を混迷させ、感情を風化させ、最終的に『誰も悪くないから全員(国民)でツケを払おう』という不条理な物語を着地させるための必要不可欠な儀式なのだ。

引き金を引いた者たちが何食わぬ顔で逃げ延びる背後で、時間をかけて引き延ばされた「責任の所在探し」の幕が静かに下りる。その後に手渡されるのは、いつも変わらない国民への「請求書」だけである。

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