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ビッグマックシリーズ:ビッグマックで測る日本の借金の本当の重さ


日本は世界最大級の債務国だと言われる。しかし、その一方で「日本政府には巨額の資産がある」「純負債で見ればそれほど深刻ではない」という反論もよく耳にする。

実際、日本政府は年金積立金や外貨準備、政府保有株式など多くの資産を抱えており、これらを差し引いた純負債ベースで見れば状況は大きく変わる。一般に語られるGDP比250%超という数字は総債務(グロス債務)であり、純負債ベースでは約125%程度まで低下する。

この数字だけを見ると、「実は日本の財政問題は誇張されているのではないか」と感じる人も少なくないだろう。

しかし、ここで一つの疑問が生まれる。

本当にそうなのだろうか。


記号としての借金と、実物としての借金

借金とは本来、通貨という記号で表現される。

45,000ドル。 88,000ドル。 100兆円。

こうした数字は比較には便利だが、人間の生活感覚からは遠い。

そこで発想を変えてみる。

各国の借金を、その国で買える「ビッグマックの個数」に置き換えてみたらどうなるだろうか。

ビッグマックは完全な指標ではないが、世界共通の商品であり、各国の物価水準や購買力を比較する簡易的な尺度として広く利用されている。

つまり、

  • 通貨の世界ではなく
  • モノの世界で
  • 借金の重さを測る

という試みである。


純負債で見れば日本は米国並み

まず純負債そのものを比較すると、

  • 米国:約8.8万ドル/人
  • 日本:約4.5万ドル/人
  • 英国:約4.7万ドル/人
  • イタリア:約4.9万ドル/人
  • フランス:約4.2万ドル/人

となる。

この数字だけを見ると、日本は確かに深刻だが、米国の半分程度であり、欧州主要国と大きく変わらない。

「純負債で見れば、日本は特別悪くない」

という主張には一定の説得力がある。

ところが、話はここで終わらない。


日本の物価の安さが逆に借金を重くする

各国のビッグマック価格を比較すると興味深い事実が見えてくる。

  • 日本:約3.11ドル
  • 米国:約5.79ドル
  • 英国:約5.73ドル
  • フランス:約6.35ドル

日本のビッグマックは欧米より圧倒的に安い。

生活者にとってはありがたい話である。

しかし、借金を実物換算すると状況は一変する。

一人当たり純負債をビッグマックで表すと

  • 米国:約15,200個
  • 日本:約14,470個
  • 英国:約8,200個
  • イタリア:約8,060個
  • フランス:約6,610個
  • ドイツ:約4,930個

となる。

驚くべきことに、日本は米国に次ぐ世界第2位の水準に浮上する。

ドル建てでは米国の半分だったはずの借金が、実物換算するとほぼ肩を並べてしまうのである。


デフレ社会のもう一つの顔

日本では長年、

「物価が安い」 「生活費が抑えられる」

ことが一種の美徳として語られてきた。

確かに給料がそれほど高くなくても、日用品や外食が安いため生活は成立していた。

収入で買えるビッグマックの数という観点では、日本人の生活は見かけ以上に豊かだったとも言える。

しかし、この現象には裏表がある。

ビッグマックが安いということは、

過去に発行された国債もまた実物ベースでは目減りしていない

ということでもある。

物価が上がれば、昔借りた借金は相対的に軽くなる。

しかし物価が上がらなければ、借金は実物価値を維持したまま残り続ける。

つまり日本は、

国民の生活コストも低かったが、 政府債務の実物価値も高いままだった

可能性があるのである。


欧州が経験した「借金の希釈」

フランスやイタリアを見ると、この構造がより鮮明になる。

近年の高インフレによって、欧州ではビッグマック価格が大きく上昇した。

結果として、

過去の名目債務の価値は相対的に縮小し、 実物ベースで見た借金量も圧縮された。

フランスが約6,600個分にまで低下しているのは、その一例である。

乱暴に言えば、

100個のビッグマックで返済できた借金が、 インフレ後には60個で済むようになった

という現象が起きている。

もちろん国民には物価上昇の痛みがある。

しかし政府の立場から見れば、インフレは債務圧縮の効果を持つ。


なぜ日本は緩和を続けるのか

ここで一つの仮説が浮かび上がる。

日本銀行が極めて慎重に金利正常化を進めている背景には、

「国内物価による債務希釈がまだ十分に進んでいない」

という事情があるのではないか。

2019年以降、日本はコロナ対応や物価対策で大量の国債を発行した。

一方で国内物価の上昇は欧米ほど急激ではなかった。

その結果、

債務は増えたが、 債務を薄めるほどのインフレは起きていない。

ビッグマック換算で見れば、14,470個という巨大な債務が依然として残っている。

もしこの認識が正しいなら、日本の金融政策は単なる景気対策ではなく、

「実物ベースの債務圧縮が完了するまでの時間稼ぎ」

という側面も持っているかもしれない。


借金は本当に軽いのか

日本の財政を論じるとき、

「純負債だから大丈夫」

という議論と、

「GDP比250%だから危険」

という議論が対立しがちである。

しかし両者とも、通貨という記号の世界に留まっている。

ビッグマックという実物の定規を当てると、別の景色が見えてくる。

確かに日本は資産を保有しており、純負債ベースでは世界最悪ではない。

だが、国内物価が長年低迷してきた結果、実物ベースで見た借金の重さは依然として極めて大きい可能性がある。

言い換えれば、

日本国民は「豊かな購買力」と「重い実物債務」を同時に抱えてきたのではないか。

これがこの分析から導かれる仮説である。

通貨の額面だけを見る世界では、借金は半分に見える。

しかしモノの世界で測り直すと、その重さはほとんど変わっていない。

ビッグマックという何気ない商品は、日本財政の別の顔を映し出す鏡なのかもしれない。

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