最近、あなたの家の周りや、最寄りの駅前、あるいは見慣れたロードサイドに「買い取り専門店」が異様な勢いで増えたな、と感じることはないだろうか。 かつてタピオカ店や唐揚げ店が席巻した街の小規模な居抜き物件に、今度は派手な看板と「何でも高価買い取り」の文字が収まっている。ガラス張りの店内の奥を覗くと、簡素な机と椅子が二つ、そして査定用の天秤がぽつんと置かれているだけだ。売るための商品が並んでいるわけでもない、その奇妙にミニマルな空間が、いまやコンビニを脅かすほどの密度で増殖している。 「いくら何でも、そんなに誰も彼もが売るものを持っているのだろうか?」 誰もが抱くこの素朴な疑問の裏側には、現在の日本が直面している「人口動態の地殻変動」と「歴史的なインフレ」が絡み合う、極めてドライな資本の論理が隠されている。 彼らが本当に狙っているのは、現役世代が最近買った流行りの服やガラクタではない。ターゲットは、いま日本社会が迎えている大相続時代――すなわち「団塊の世代」の引退と、それに伴う大規模な「家じまい(実家の片付け)」の現場に眠る、莫大なタンス資産である。 かつて1970年代から80年代のバブル期にかけて、日本経済は黄金期を謳歌していた。当時、現役の働き盛りだった団塊の世代とその上の世代にとって、金(ゴールド)やプラチナのアクセサリー、あるいはロレックスなどの高級時計を買うことは、単なる贅沢ではなく、一種の「確実な資産形成」だった。当時は、金1グラムが1,000円台から数千円で買えた時代である。 それから数十年が経ち、現在、金価格は歴史的な高騰を続け、1グラム1万円の大台を遥かに突破している。かつて親が普段使いしていた太い18金のネックレスや、引き出しの奥で変色していた指輪が、現代のインフレと円安の波に乗って、当時に比べて数倍から10倍近い価値に化けているのだ。 しかし、当の高齢者層や、その実家を片付ける遺族の多くは、その正確な市場価値を知らない。「動かなくなった古い時計だから」「デザインが古臭いから」と、価値のないガラクタ同然に思っているケースが極めて多い。 買い取り専門店が街中に網を張る理由は、まさにここにある。彼らがチラシで「切手、古銭、古い着物、何でも買い取ります」と謳うのは、心理的ハードルを下げて実家の扉を開けさせるための「撒き餌」に過ぎない。実際に査定が...
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