前回、空前のAI向けデータセンター投資が活況だ。韓国サムスン、SKハイニックスが全従業員向けに出された高額報酬を皮切りに、日本の関連企業でも多額の報酬が支払われつつある。その影響で、高すぎる累進課税と社会保険料負担に嫌気をさして海外にエンジニアが流出し、何年後かに大問題化するだろうという旨のエッセーを起こした。 ここで、読者諸氏は不思議に思っただろう。 「現在においてそれほど簡単に予想できるなら、なぜ国は対策しないのか?」 「半導体を『国家戦略の重点分野』として大々的に発表していたではないか?」 「優秀なエンジニアを日本に引き留めることは、どう考えても国益に叶うのではないか?」 まったくその通りである。引き留めることこそが国益だ。普通に考えれば、だが。 何が世界の主要国と日本とで異なるのだろうか? 結論は単純だ。「インセンティブ」である。 世界各国においては、 「国益に叶う成果を出すこと」が、そのまま「国家に勤める人間個人の利害(インセンティブ)」に直結する制度設計 になっている。 アメリカ では、政策を成功させた官僚や担当者は民間(GAFAMや大手VCなど)から破格の年収で引き抜かれ、個人の市場価値が跳ね上がる。 シンガポール では、閣僚や高級官僚のボーナスがGDP成長率や国民所得と直接連動し、国が潤えば個人の懐も数千万円〜数億円単位で潤う。 ドイツ では、工学博士や専門家が官僚組織に入り、政策実績がそのまま産業界や研究機関での強固なキャリアポストに繋がる。 韓国 では、「半導体の敗北=即座に政権崩壊と自身の政治的失脚」という強烈なペナルティ(負のインセンティブ)が機能している。 アプローチの形は様々だが、主要国はどこも「人間の欲望や自己防衛本能」を国家戦略のエンジンとして組み込んでいるのだ。だからこそ、優秀なエンジニアが逃げ出さないよう、手取りを補填する税制遇措置や特別ビザを電光石火のスピードで立ち上げる。 翻って、日本はどうか。 日本の意思決定層には、動くための「ポジティブな得」も、動かないことへの「ネガティブな損」も一切存在しない。 高収入層が増えて税収が跳ね上がろうが、官僚の給料が上がるわけではない。国民の平均給与が増えたところで、政治家の歳費が増えるわけでもない。逆に、エンジニアが海外に脱出して税収が減ろうが、企業が赤字になろうが、彼ら個人...
日本の組織において、なぜどれほど優れた成果を上げる若手や優秀な社員であっても、欧米のように突き抜けた給与が得られないのか。あるいはなぜ、組織の頂点に立つ社長の給与倍率が、一般社員の数十倍程度という世界的に見て異例なほど低い水準に留まっているのか。 多くの議論はこれを「日本人の平準化を好む国民性」や「デフレによる原資不足」、あるいは「年功序列の残り香」として片付けようとする。しかし、本質はそこにはない。 この歪な給与体系の根本にあるのは、 「個人の責任(Accountability)と成果を徹底的に消去し、集団の中に希釈する」という日本型無責任体系のロジック である。 欧米における役員やトップ層の高給は、単なる能力の対価ではない。それは、ひとたび判断を誤れば即座に解任され、時には株主から個人賠償責任を追及されて個人の財産や社会的地位が一瞬で吹き飛ぶという「個人の破滅的リスク」に対するプレミアム(保険料)だ。高額な報酬は、逃げ場のない「個人の主語」で決定を下すことの裏返しなのである。 一方で、日本の組織における意思決定は真逆のプロセスをたどる。 いくら経営判断が裏目に出ようと、不祥事が発生しようと、その決定は「専務や常務、取締役会、そして現場の稟議」という合議制のスープの中に溶かし込まれる。追及が始まっても「責任の所在確認」という長時間の儀式を経て、責任は「当時の空気」へと空中分解する。社長が個人の財産を失って路頭に迷うことはなく、せいぜい数ヶ月の役員報酬返上や、相談役・顧問への「軟着陸」で手打ちとなる。 つまり、日本の経営層は「個人として破滅的な責任を負わない」という特権を得ている代わりに、リスクプレミアムとしての爆発的な高額報酬を請求する論理的拠点を失っているのだ。 そして、この「上が個人責任を取らない」という構造は、そっくりそのまま「下が個人の成果で稼ぐこと」を拒絶する刃となって現場へ跳ね返ってくる。 もし有能な社員に個人成果に見合った天文学的な給料を払う評価制度を導入すれば、組織には「それだけの報酬を得ている以上、結果が出なかった時の責任も個人で負え」というロジックが持ち込まれる。しかし、現場に個人責任を導入してしまえば、「なぜ現場だけが自己責任で、失敗した合議制の上層部は責任を取らないのか」という矛盾が噴出し、上層部の免責構造(無責任体系)そのものが...