本来、政策とは理念と民意の化学反応によって発露するべきものである。理念は社会の構造的ビジョンを、民意は生活の実感を、それぞれ社会に投げかける。両者が交差する地点こそが、制度設計の出発点であるはずだ。
しかし現実はどうか。政策は理念よりも先に、民意よりも遠く、制度的慣性と演出によって先行する。理念は後付けされ、民意は部分的に利用される。構造的整合性を欠いた政策は、複雑化によって失敗を覆い隠し、制度はブラックボックス化する。
たとえばSDGsの理念は、持続可能性と公平性を掲げるが、電気自動車(EV)推進政策はその理念と整合しているだろうか。EVの製造には大量のレアメタルが必要であり、採掘による環境破壊や電池廃棄の問題は未解決のままだ。民意は物価高や生活不安に疲弊しているが、EVは高価格であり、充電インフラも不十分だ。理念と民意のどちらとも接続されていない政策が、なぜ先に来るのか。
DX推進も同様だ。人口減少社会における業務効率化という理念は理解できる。しかし、民意は人手不足や生活の不安に直面している。にもかかわらず、DXは「デジタル化ありき」で進められ、現場の声が置き去りにされている。政策が先に来て、理念と民意が後から意味づけされる構造は、構造理解者にとって違和感の塊である。
この構造的逆転に違和感を覚える者がいる。構造理解者である。彼らは、成立していないロジックの上で社会が動いていることに気づき、成立していないロジックを成立していると信じる人々の確信にこそ、最大の違和感を抱く。
構造理解者は、制度の設計図を読み解き、理念と民意の乖離を見抜く。彼らの知性は、政策の発露を「結果」として捉え、決して「出発点」とはしない。だからこそ、構造的に無理のある政策は必ず失敗すると断言できる。
世界を見渡しても、理念と民意の化学反応が純粋に政策に昇華している例は稀だ。しかし、台湾では例外的にその構造が部分的に実現されている。vTaiwanプロジェクトでは、オンラインで市民が政策形成に参加し、Uber規制や医療制度などに民意が反映された。理念と民意がデジタル空間で融合し、政策として発露する構造は、まさに理想モデルの具現化である。
日本では、国政レベルでその構造が明確に見えるとは言い難い。しかし、政治家の中には民意をくみ取りたいという意欲を持ち、制度の壁に挑戦し続けている者もいる。地方自治体では市民参加型の予算制度やまちづくり協議会など、理念と民意の接続を模索する動きもある。
理念と民意の化学反応による政策発露は、理想である。しかし、理想を語ることは無意味ではない。構造理解者の問いこそが、制度を再設計する第一歩となる。そしてその挑戦は、今も続いている。
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参考文献:
- 村山皓「公共政策構造論への政策科学」
→ 公共政策を「構造」として捉えるメタ政策学の意義を論じた論文。政策がどのように制度的慣性に絡め取られるかを考える上で有益です。
PDFはこちら(立命館大学リポジトリ) - 秋吉貴雄「政治リテラシーと公共政策学」『年報政治学』74巻2号, 2023
→ 政策問題の「社会的構成」や市民参加の意義を論じ、民意と政策形成の接続を考える上で参考になります。
J-STAGE掲載論文 - 足立幸男「公共政策のデザイン・決定・実施・評価は民意に沿ったものでなければならないのか?」『公共政策研究』16巻, 2016
→ 民意と政策の関係を正統性の観点から問い直す論文。民意が必ずしも政策の出発点にならない現実を分析しています。
J-STAGE掲載論文 - 高島洋和「公共政策学の基礎」勉強会資料, 明治大学, 2016
→ 公共政策の理念・対象・手段・権限・財源という構成要素を整理した入門的資料。理念と制度の接続を考える基盤になります。
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